カンディンスキーは、芸術を線と色、そして内なる振動から成り立つ言語と捉えていました。彼の作品は、可視的な現実から純粋な抽象への道を描いており、これはバウハウス思想の基盤となり、現在もデザインに影響を与え続けています。
バウハウス運動 · 編集部の視点
ワシリー・カンディンスキーにとって、バウハウスは単なる形式と機能のための学校ではありませんでした。そこは、色彩・幾何学・内的体験が実空間で検証される場所だったのです。彼のヴィジョンは抽象絵画だけでなく、今日ヴァイマルやデッサウで建築・テキスタイル・オブジェを読み解く方法までも形作ったのです。
カンディンスキーが1922年にヴァイマルのバウハウスに参加し、その後学校と共にデッサウへ移転したとき、彼はワークショップに根本的に新しいものを持ち込みました。スタイルから始めるのではなく、知覚から始めたのです。学生たちは椅子やファサードをデザインする前に、点・線・面を分析しました。幾何学は読み取られ作曲される言語となったのです。
バウハウスでの教育において、カンディンスキーは3つの重要な分野を結び付けました。絵画・建築・工芸です。デッサウのセミナールームやスタジオは、円・三角形・四角形が装飾ではなく道具となる実験室となりました。赤い三角形、青い円、黄色い四角形は、モチーフが現れる前から、緊張・静けさ・均衡を示唆することができたのです。
カンディンスキーの著書『芸術における精神的なものについて』はバウハウス以前に書かれましたが、その考えはヴァイマルとデッサウで具体的な居場所を得ました。彼はあらゆる芸術的決定を導くべき「内的必然性」について語りました。バウハウスではこの考えは画家・織工・建築家の共通した方法となりました。
「色彩は魂に直接影響を及ぼす力である。」 — ワシリー・カンディンスキー
このような考え方は、日常のデザインを変えました。織物の縁取り・タイル張りの床・窓のリズムは、絵画のように「読まれる」ことが可能になったのです。したがってデッサウのモダニズムは必ずしも白い壁や平らな屋根だけではありません。それは色と形の正確な振付であり、私たちが空間で感じ、動く方法に合わせて繊細に調整されています。
カンディンスキーが絵画で発展させたものは、バウハウスの教室でカリキュラムとなり、最後には都市で目に見える形となりました。デッサウでは、その翻訳を段階的に体験できます。教材の分析的なドローイング、バウハウス・ビルにおける色彩面、そしてマスターズ・ハウスの緻密に配置されたアクセントです。
美術とデザインを分断するのではなく、カンディンスキーはそれらを結び付ける手助けをしました。カーペットの模様・階段の壁・スタジオの窓でさえ、一つの視覚的な「文」の一部となり得るのです。現代のデザイナーが視覚的アイデンティティや誘導システム、イマーシブ(没入型)建築について語る時、バウハウスが今なお参照される理由がここにあります。
多くの訪問者にとってバウハウスとの最初の出会いは、有名なランプやチューブラー・スチール製の椅子、あるいはバウハウス・デッサウのファサードを写した白黒写真です。ですがカンディンスキーは、さらにもう一層深く見ることを私たちに促します。彼は問いかけます――この構成を前に立ったあなたに、何が起こっているのか。窓の配置、色のコントラスト、線の重み付けが、あなたの気分をどう変化させるのか、と。
このように見れば、バウハウスのデザインは単に機能的なものではありません。同時に感情的であり、精密です。これこそが「バウハウス・デザインの魂」であり、それは神秘的な何かではなく、色彩・形態・人間の知覚とのあいだで綿密に調整された関係の結晶なのです。
カンディンスキーと出会うのが、美術館の壁であれ、本の中であれ、デッサウでのガイド付き見学であれ、その根底にある問いは常に同じです。色はどう作用し合うのか。緊張はどこに生じるのか。構成がどこで休息を得るのか。このバウハウス流の眼で見はじめると、カーペット・ポスター・建物・デジタルインターフェイスも、隠された構造を明らかにするでしょう。
バウハウス・デザインの魂とは、単体のオブジェや絵画ではありません。それは、ヴァイマルやデッサウのバウハウスのスタジオに端を発し、今日のデザイン実践にも連なる、世界を見るための一つのまなざしなのです。カンディンスキーの遺産は、いまもなお形と色が明快さ・配慮・内的必然性をもって用いられるところに生き続けています。
カンディンスキーのビジョンは、色彩と言語、そして抽象の表現を形作りました。Bauhaus Experienceでは、彼の思想が成長し、進化し、そしてモダンアートを再構築したワイマールとデッサウを探訪できます。